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札幌家庭教会 日曜礼拝説教集〔アーカイブ〕

2011/03/20 日曜礼拝説教要旨(インターネット)

*今回は、聖歌隊の出番はありませんでした。

※ 以下、一般向けに要旨を伝えるため、表現の一部を訂正しています。

★「文亨進世界会長の礼拝説教」(東京・松涛本部教会にて)

2011年3月19日、文亨進世界会長は日本に来られ、地震・津波で被災した青森県八戸市を訪れました。
翌20日、東京・松涛本部教会より、全国の教会員に向けてインターネット礼拝を行いました。
今回、日本に訪問できた事を感謝いたします。
聖書 マタイによる福音書 第6章
自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。
もしそうでないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。
-- 中略 --
また祈る時には、偽善者たちのようにするな。
彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。
よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。

あなたは祈る時、自分のへやに入り、戸を閉じて、
隠れたところにおいでになるあなたの父に祈りなさい。
すると、隠れたことを見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
-- 中略 --
だから、あなたがたはこう祈りなさい、
 天にいますわれらの父よ、
 御名があがめられますように、
 御国ができますように、
 みこころが天に行われるとおり、
 地にも行われますように。
-- 中略 --
イエス様は、どのように祈るべきか、どのように祈ってはいけないのかを教えてくださっています。
偽善者、宗教者のように見せかける、人々の前での長い祈り、そのような祈りはいらないのです。
小さな部屋に入り、扉を閉めて、自分の父に語りかけるように祈るべきであるといわれています。

普通の人がお祈りする時は、どうお祈りするでしょうか。
危機に直面した時に、私を助けてください!と祈るものです。
あるいは自分の問題があるとき、それを解決して欲しいと祈ります。
人々が祈る時、個人的な祈祷から始まるのです。
でもイエス様は逆でした。
「まず始めに神様を賛美しなさい」と言われました。

信仰生活をする中で、「私の祈りはどうして聞き届けられないのか」と思うことがありませんか?
そのときは、どのように祈ったのかを見直すべきです。
口を開くたびごとに、私たちが神様の賛美から始めるのか、個人のことから始めるのかどうだったかを。

私達が祈る時によく出てくるのが、私の国・私の民・私の願い、が出てきますが、 神様の国のため・神様のみ旨成就のために祈らなければならないのです。

真のご父母様がが下さった『絶対信仰・絶対愛・絶対服従』の教えは、信仰生活の革新的なシステムです。
信仰の度合いに応じて神様の愛を感じる事ができます。
信仰が無ければ神様の愛を実感する事もできないのです。

例えば、奥さんがご主人に「愛している」と言われたとき、信頼するご主人に言われればこそ、その言葉にパワーを感じる事が出来るのではないでしょうか。
同様に神様を充分に信じていればいるほど、生活の中で神様の愛を充分感じることが出来るようになっているのです。
私が空気を吸い込む事ができること、心臓が動いている事自体が神の愛の証拠だと感じることができるのです。

私が良い人だから、私が偉大な人だから、神様の恩恵を受けるに値するのでしょうか?
そうではありません。神様の愛が偉大だから、私達が神様の愛を受け取る事ができるのです。

宗教は、「私は沢山奉仕をして、人の為に生きたので、神様の前に立つ資格がある」と考えます。
私達もある程度そのように考えていたのではないでしょうか。
しかし、それは正しくありません。真理は違うのです。

宗教は、よいことをしたので、神様の前に出る資格があると考え、
真理は、あなたはそれでも罪人(つみびと)である、と語ります。

皆さんの中で、今まで一度も嘘をついたことがない人、何か盗んだ事が一度もない人はいますか?

イエス様は、もし他人の妻を見て「ああ、もしこの人と結婚していたならば、もっと幸せになっていたのではないか」と 変な性的な思いを持ったら、「そのとき既に心で姦淫を犯したことになる」と仰いました。

また神様を怨んだり、反逆したり、悪口を言った人は、神性冒涜者です。
これらの人がどうやって神様の前に出られるでしょうか。

皆、完璧に過ごしたつもりでも、罪を犯しているのです。神様の前に出られる人は誰もいません。
私の心・行動が神様に傷を与えることになります。
神様はいつも私たちのすぐ横におられます。しかし私たちは一日の中で、どれほど神様を無視しているでしょうか。神様を無視すること自体が罪なのです。

罪人(つみびと)である私達が神様の前に出られる理由は私たちにあるのではなくて、 神様の愛があるからこそ私たちは神様の前に出ることができるのです。
私達がいくら責任を果たしたとしても、私たちは人類の罪の全てを蕩減する事はできません。
神様の本体から直接出てこられた尊い存在、神の息子、ただその一人を通して罪を蕩減する事ができます。
蕩減(とうげん):
ここでは、環境的・能力的に贖罪が困難な内容を、減免してもらうことを意味します。
メシア・キリストと呼ばれる存在、それが真のご父母様なのです。
私達が上手くやったから祝福を受けられるわけではなく、私の蕩減を真のご父母様がはらって下さっているから 神様の前に出られるのです。これが真実なのです。

一般的な宗教には二つの終着点があります。
自分が神の前に訓練し、瞑想をし、功労を積んだので、神の前に出ることが出来ると思って生きているので、 その結果、傲慢になってしまうという点です。
どんな宗教でも、正直に自分自身を見つめれば、完璧に法度を守った人はいないのです。
完璧に守ることが出来ない、自分は天の前に立つ事が出来る人間ではないという事を悟ることで絶望し、 初めて出発点に立つ事が出来るのです。
宗教の終着点は傲慢と絶望、この二つの点です。

しかし、真理は違います。
私が神の前に出ることができる理由は私にあるのではなく、 神様から送られた神の子である、真のご父母様の蕩減・犠牲によって、神の前に出られることを知っているが故に、 その終着点は感謝であり、そして謙遜さであります。
これが宗教と真理の違いです。

宗教では、法度を守る人は善人、守らない人は悪人。このように分けられてしまいます。

真理では、全ての人が同じ神の子女であるのですが、違うのは、悔い改める子女と悔い改めない子女、 感謝する子女と感謝しない子女、神様に傷を与える子女と喜ばせる子女、どちらも神の子女だけれど、 結果はまるで違います。

私たちは、一般的な宗教になってはいけないのです。真理の宗教にならなければいけません。

それでは、どうして私たちは神様の法度に従う必要があるのでしょうか?
どうして頑張る必要があるのでしょうか?
従わないと地獄に行くからですか?
ある良い夫がいたとします。その人は浮気をしたら地獄に落ちるから浮気をしないのでしょうか?

そうではありません。浮気をしない理由は、妻を愛しているからなのです。
だからルールを守ります。嬉しく守ることができます。愛なのです。

神様の法度を守る理由は愛のためなのです。
神様を愛しているから神様の定めた法を守ろうとするのです。

真のご父母様がが下さったシステム、『絶対信仰・絶対愛・絶対服従』は それぞれが全て鎖のようにつながっています。
信仰が無ければ、神様の愛に触れることができません。神様の愛が無ければ神様の法に従う事が出来ないのです。 信仰が愛のキーであり、そして幸せ感を持って服従できるキーが愛の実感なのです。

私たちは神の前に、再び自分自身をかえりみる時に、神様が本当に私たちを愛しておられる事を実感できるようになるでしょう。
私達がふさわしいからではなく、神様が私たちを愛する理由は、神様が送ってくださった真のご父母様の愛のゆえに神様は私たちを愛するのです。
罪人(つみびと)である私たちを何度も何度も神の前に連れて行こうとする真のご父母様の愛ゆえにです。

原理から見た創造目的は、神様の真の愛の対象、完成されたアダム・エバ、真のご父母様です。
その結果として理想世界が展開されます。

私達がその真のご父母様を愛しているのかいないのか、ここだけが私たちの問題です。
世界が新しい天運を受けようとするのなら、神様の創造目的に立ち戻るべきです。
創造目的は真のご父母様、その方を愛するのが私たちの責任なのです。

災害・地震、悪運がやってくるとき、どんなパワーを持って防ぐ事ができるのでしょうか?
人間の力ではとても防ぐ事はできないのです。
人間よりもっと偉大な、天運によって初めて悪運を克服する事ができるのです。

その力の源泉は、”チャンプモニム億萬歳”(真のご父母様億万歳) の言葉の中にあります。
そこから力が出てきます。
この一行の中に、統一食口全員の愛と信仰、親孝行、忠孝、み言、服従、栄光を捧げる全てのものが含まれます。

我々がどのような振動を出しているかです。
どのような振動が神様に伝わり、神様に私たちの愛が信じられるようになるというのでしょうか。

この言葉を唱和する時、私達がどのような思いを持つかが問題です。
”チャンプニモニム億萬歳” と言いながら自分の願いを思ったらいけません。
清らかな心、清らかな動機で唱えるのです。
神様に何か期待したり願ったりねだる心があったのではいけません。

私たちの生きる道は私たちの能力によって開かれるのではありません。
私たちの行くべき道は真のご父母様を愛する事、そこから開かれていきます。
この振動が広く展開する事を願います。

※ この後、全国皆で、”チャンプモニム億萬歳”を唱和いたしました。