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札幌家庭教会 日曜礼拝説教集〔アーカイブ〕

2011/04/10 日曜礼拝説教要旨(インターネット)

*今回は、聖歌隊掲載を省略します。

※ 以下、一般向けに要旨を伝えるため、表現の一部を訂正しています。

★「祝福の意義と価値」(北海道教区合同礼拝)

日曜礼拝の時間に本部より白井家庭教育局部長をお迎えし、北海道教区合同にて、
講義「祝福の意義と価値」が行われました。その内容を抜粋しました。

まず、祝福という点から見た真の結婚観という観点でお話します。
結婚観とは何か。種を作るということです。

良い種を蒔かなければ、良い花が咲かないし、良い実は生らないのが道理です。
よく、「理想的な夫婦になりたい」「理想家庭を築きたい」と言いますが「真の結婚観」という、 しっかりした種をまかなければ、よい結婚の花は咲かないし、結婚の実りはないということになります。

理想的な家庭を築きたければ、真の結婚観を身に付けることが非常に大切です。

--真のご父母様のみ言より--
 宇宙万物の創造主であられる神様は、どのような姿で存在されるのでしょうか。
 神様はニ性性相であられます。ここで言うニ性性相とは、男性格主体と、女性格対象のニ性性相を意味
 します。

 したがって、神様の男性格を分立して創造したのが、人類最初の男性格先祖であるアダムであり、
 神様の女性格を分立させて創造したのが、人類最初の女性格先祖であるエバです。
 そして、アダムとエバを再び合わせた姿と同じものが、彼らの子女です。
(1) 子女の愛
父母たる神様に対して、アダムは息子・エバは娘です。
息子として、娘として、父母なる神様を愛する愛、これを「子女の愛」と言います。
「子女の愛」とは上向きの親に対する愛です。皆様の家庭にたとえてみましょう。

子供は幼い頃、外から家に帰ってくるなり、無意識に「お母さんは?」「お父さんは?」と父母を求めます。
なぜ子供はこんなに熱烈に父母を慕うのでしょうか。原因無くして結果はありません。
子供が父母を慕うという結果があるのには、その原因があります。

まず、神様がアダムとエバに愛を完全投入されているので、アダムとエバの愛が神様に向かう事ができます。
だから、家庭においても子供が親を求める前に、親が子供に完全投入して、その親の愛にちょうど磁石が引きつけられるように、子供は息子娘として、両親の為に生きることができます。
それが「子女の愛」です。

(2)兄弟姉妹の愛
アダムとエバが成長するにしたがって、アダムは隣にいるエバが慕わしく、守ってあげたい心情がわいてきます。
これは兄として妹を愛する情、エバもアダムを妹として兄を愛する情がわいてきます。
父母を媒介として兄弟姉妹の情がわいてきます。

逆に親子関係の情がうまくいっていない場合、兄弟間の食い違いとか、分裂が生まれてきてしまいます。

例をあげれば、親が財産を残してなくなり、遺産相続をめぐり兄弟間で骨肉の争いとなるような場合、 思い起こしてみれば、幼い頃から兄弟間の愛が薄い場合が多いのです。
また、子女の愛と兄弟姉妹の愛は、自然界を教科書として成長していきます。

(3)夫婦の愛
み言では、男性が主体、女性が対象です。なぜでしょうか。女性が嫁ぐのには根拠があります。
女性は空箱。箱は入れる物によって変わってきます。
宝石を入れれば宝石箱に、ごみを入れればゴミ箱になります。
何を入れるかによって価値が変わります。
どういう主体者と一つになるかによって変わってくるということです。

王様の種が入って子供が生まれれば王子に、ヤクザの種が入れば子供はヤクザになってしまいます。
聖書に出てくる「善悪知るの木」は女性の象徴とされていますが、 それはどうしてでしょうか。男性にも善にも悪にも傾く可能性があるのにもかかわらず、 男性の象徴として「善悪知るの木」となぜいわないのでしょうか。
男性も、未完成であることは女性と同じですが、善を実らせるか・悪を実らせるか、最後の決定権は女性にあるからです。
「男は種」「女は畑」のように、種を受け止める立場です。種がどんなに良くても、畑が耕されていないと根付きません。
畑がしっかり耕されていれば、しっかり根付き、種はすくすく育ち、よい実を付けます。

男性は与える、女性は受け止める立場です。
生命の本質においては、与える方(男性)が主体、受け止める方(女性)が対象なのです。
主体は中心で動かない、対象が動く。
それで女性が男性に嫁ぐ事が多いようになっているのです。
そして、お互いに主体は対象のために、対象は主体のために生きるようになっています。

神様を中心として、子女の愛がベースになり、その上に兄弟姉妹の愛、さらにその兄弟姉妹の愛をベースにしてできる愛が夫婦の愛です。
すなわち、愛の包含性になっています。これを愛の三重圏といいます。

子女の愛、兄弟姉妹の愛を通して、自然界を教科書としながら、愛が”成長”し、その上で、夫婦の愛を通して、愛の”完成”をしていきます。
結婚の目的は、相互の愛の”完成”のためにあります。
犬やネコを愛するのは素晴らしいことですが、動物をどんなに愛しても愛は成長しても、愛の完成はできません。

では、人間はどのように愛の完成をするのかというと、理想的な主体者・理想的な対象者と結婚して夫婦の愛を体験した時に、初めて愛の完成をする事が出来るのです。

--真のご父母様のみ言より--
 結婚は何のためにするのでしょうか。
 男性に会いたくて、女性に会いたくてするのではありません。
 愛を完成させるためにするのです。

 結婚初夜の夫婦関係の瞬間において、男が完成されるのであり、女も完成されるのです。
 男・女半分だったのが一つになるのです。半分ずづが、こういうふうに別れてまた合うのです。

本当に愛の完成はなされるのでしょうか。完全な愛とは、神様の愛が100%現れた状態です。
本当に結婚初夜の夫婦関係において、そこに神様の愛が100%現れるのでしょうか。

100%神様が現れる一点があります。 実は、これが真のご父母様が求め求めて得た内容です。

--真のご父母様のみ言より--
 四十三日間、霊界に行って闘い、死地に行って本当に難しいときは、先生で言えば、
「神様の真の愛の定着がどこですか?」と、いくら祈祷しても教えてくれません。

 祈祷して、祈祷して、その祈祷の度数が満ち、疲れ果てて倒れ、
 サタンが「もう文総裁は、すべて終わった!」と言って去っていく、その瞬間に教えてくれたもの
 が何かといえば、「真の愛の道は、直短距離を通る」という一言でした。

 真の愛は「直短距離」を通るのです。
 その直短距離というものは、どこですか?  上に神様の愛の道があれば、直短距離は八十九度でもだめであり、九十一度でも直短距離になりません。  直短距離は、ぴたっと九十度以外にはないのです。
 九十度、縦横に合わせるのです。  それで、真の愛は、横的な面に行く愛も、九十度に合わせなければならず、  縦的に下りてくる愛も、縦横を通って九十度の点に定着することを教えてあげようとしたことを、  先生はすぐに分かりました。「分かりました!」と言って、解いていくのです。

神の愛は一人では動きません。
アダム(夫)と、エバ(妻)、この二人が一つになった時に動き出します。
これは、真のご父母様の実感的体験です。

夫婦の愛が近づけば近づくほど、一つになればなるほど、神の愛は動き出します。
神の愛、夫の愛、妻の愛、三方向から一点に、すなわち、90度の角度でぶつかる所が真の愛が定着するところです。

神の愛は、くねくね寄り道をしてくる愛ではありません。まっすぐストレートに下りてきます。
皆さんがそれを実感する時は個々に違うと思います。それをそれぞれ、探求、開拓していただきたいと思います。神様から下りてきた愛が90度になるためには、夫婦の愛が水平でなければなりません。

男性が女性を誘惑するなど、不倫な愛・よこしまな愛・いい加減な愛は、全部斜めになってしまいます。 それでは90度にならず、全然神様と関係なくなり、それは永在しない愛です。

水平な愛のみが、神様から祝福された夫婦の愛になります。祝福家庭の愛は水平でなければなりません。
水平な夫婦の愛に、神様がまっすぐ下りてこられて、初めて90度になり、その時神様の愛が100%顕現されます。ここで神様の愛と出会うことができます。

100%の神の愛は、この瞬間にしかありません。他のどこを探しても、部分的な神様の愛には出会えても、 100%の神様の愛(完全な愛)には出会うことができません。
だから、夫婦関係においてしか、愛の完成は成されないという結論になります。

そこで、一つ条件があります。愛は相対があって初めて完成できます。
それぞれ、一人だけでは完成する事ができません。
夫の愛の完成は妻を愛する事、又妻から愛されて完成します。
妻は夫を愛し、夫から愛されて初めて愛の完成をする事ができます。
すなわち、結婚は、相互の愛の完成のためにするのです。

また、結婚の目的は神様の姿に似ることです。
男性は神様のプラスの実体、女性は神様のマイナスの実体です。
男性は神様の50%、女性は神様の50%、これを真のご父母様は、半品と表現しました。
男性も女性も個人では半品なのです。結婚によって一体となることによって、完品となります。
言い換えれば、それがすなわち、神の似姿になるということです。

神様の中のプラスとマイナスは一つですが、一つだったものが地上でいったん別れて、 それが縁あって出会って、結婚によって一つになることによって、神の似姿になります。
親なる神様からみると、神の似姿になった夫婦の姿は、愛おしくて抱きしめたくなるのです。
人間から見ると、神様の愛を占領し、神様ご自身を占領した、すなわち一心に神の愛を受けた、ということになります。

神様は天運の根源です。神様の愛を占領するということは、天運が働くということです。
だから本来の夫婦は天運によって保護されます。
色んな問題があったとしても、天運によって保護されます。
だからこそ、祝福家庭の私たちは、あらゆることに対する神への感謝の心を持たなければなりません。

(4)父母の愛
子女の愛、兄弟姉妹の愛のベースの上に夫婦の愛があると説明しましたが、 さらにその夫婦の愛が土台となって、父母の愛ができます。
すなわち、父母の愛の中に、夫婦の愛、兄弟姉妹の愛、子女の愛が内包されます。

子女の愛、兄弟姉妹の愛により、愛の成長をし、夫婦の愛によって愛の完成をすると説明しましたが、 完成で終わりなのかといったら、そうではありません。

夫婦が一体となり、子供を産みます。
夫の愛、妻の愛、神の愛が一点に集まるとき、三重衝突となります。ですが愛は決して事故を起こしません。

三重衝突する時、爆発現象がおきます。その爆発現象により、新生命が誕生します。それが子女です。
新しい命が生まれることにより、夫は父に、妻は母になります。


ここに父母の愛が生まれます。そして子供が成長することにより、子供が親になると、 父母の愛から、祖父母の愛までだんだんと愛が深まっていきます。


アダムとエバが父母になったとき、神様は、祖父母の立場に立ちます。
家庭においての祖父母は神の位置になります。
だから、おじいちゃん、おばあちゃんを大切にすることは非常に大切な事です。
祖父母を中心として、父母、子供が初めて一つになることができます。
そのような愛をとおして、愛が完熟します。

結婚初夜に愛は”完成”しますが、それで終わりではなく、子供を生み、孫の顔まで見たときに、
愛の”完成”から、愛の”完熟”となります。

完熟した果物が倉庫に入るように、天国という倉庫に入っていきます。
それが何かというと、「昇華」といいます。
地上で愛の完熟を成してこそ、そのままストレートに天国に入ることができます。
子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛、祖父母の愛を体験してこそ、愛の完成から完熟をする事ができ、それを四大心情の完成と言います。

これが私たちの人生の目標です。