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札幌家庭教会 日曜礼拝説教集〔アーカイブ〕

2011/06/19 日曜礼拝説教要旨(齊藤教会長)

*今回は、聖歌隊掲載を省略します。

※ 以下、一般向けに要旨を伝えるため、表現の一部を訂正しています。

★ 「種と実」

聖書 ヨハネ黙示録 22章1節
御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。
この川は、神と子羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている。

川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。

今、一般社会は、経営マネージメント等を通して、優秀な社員を育てています。
日本の企業が中国の若者を取り入れて、大いに活用しています。
中国人には、国家意識があります。国のためという精神が、国全体にあります。
また、国が貧しかったので、なんとか国を復興させていくために、外国のいいものを吸収していこうとしていきました。

日本もそうでした。戦後、外国の良いものを真似て、ここまできました。

陶器は、高句麗から技術を学びました。陶器は日本では豊臣秀吉の時代、お茶を飲む器として使いましたが、 元々韓国(朝鮮)では、神様を祀る器として使っていたので、最高のものを作ったのです。

それを戦争をして豊臣秀吉が奪ってきていたので、千利休が『やめて下さい』と、訴えて切腹しました。結局、豊臣秀吉は暴走していきました。


豊臣秀吉配下の武将に、小西行長という人がいます。彼は戦の時に十字架を掲げて戦いました。
このように、武士でもクリスチャンになった人もいます。

韓国で捕らえられた日本の奴隷が、胸に十字架をかけていたため、李舜臣将軍が気がついて、クリスチャンの下臣に会わせます。そしてお互い、「日 本の為とか韓国の為とか以上に神の国をつくる為に戦っている」と、そのようなもっと大きな目的のために、敵同士がひとつになっていくという話が あります。
李舜臣(イ・スンシン/이순신):
 李氏朝鮮時代の武将で、1592年、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)で朝鮮水軍指揮官として参戦。
 上司との折り合いが良くなく、一時は更迭されるが、1597年、再び豊臣秀吉が朝鮮出兵(慶長の役)を
 始めると、再び指揮官として参戦し、当時攻め入っていた日本軍の小西行長らを足止めさせて捕囚する。

 しかし、その後の海上戦で戦死。

このように、ひとつになっていくためにはより大きな思想がないと、ひとつになっていくことができないのです。

それが親思想、親宗教です。

兄弟思想、兄弟宗教であれば、喧嘩をしてしまいますが、親は兄弟として見るのではなく、子供として見ます。 兄が悪いとしても、弟が悪いとしても、まとめてくれるのが親です。

親のような思想、親のような考え方があって初めてひとつになっていくことが出来るといえます。

今日の説教の題目は「種と実」ですが、
「種」は、小さくて力ないもののように見えますが、「種」は親です。
「実」は子供です。子供ですが、また親になっていきます。
親になって、子供にいく綱渡りをしています。だから親と子は表裏一体です。

もし親がいなければ、兄弟のどちらかが親のような心情をもっていったときに、兄弟喧嘩は収まるのです。

兄弟同士が喧嘩した場合、周りの天使長圏がそれを利用します。
韓国ドラマでもそのような場面がよく見られます。それで王家が分立してしまうのです。

私が子供の頃、周りの子供達は、お母さんの香りは「せっけんの香り」「おっぱいの香り」 と言っているのに、私の母は魚を捌く仕事をしていたので、いつも魚が腐ったような臭いがしていて、それが嫌でした。

私の両親は、好きで好きでたまらなくて、占い師に「あなたたちは絶対合わない、一緒になったら死ぬ」 と言われたのに、それでも結婚しました。

それが愛の力です。またそういう愛を持っているのが親です。
そのような親の愛を知ったので、魚の臭いも良い臭いだと感じるようになりました。

兄弟喧嘩も、悪ふざけと思って、より大きな愛で包み込むようになれば、喧嘩はその場で終わります。
だから親の愛というものは、一つにすることができるものです。
これを「真の愛」といいます。それが種です。

親というのは、「この子は悪いことをしたけれど、良い子なんだ」といいます。
私たちも、神様から見ればお前は良い子なんだと言われるのです。

親の心情の世界はそうです。
そのような心情の世界を分かってあげられる器を、私たちは持たなければなりません。

親が今、一生懸命苦労しています。
その親の苦労を分かってあげる器とは、心情です。人格です。真の愛です。
私は、吃りでずっと差別を受けてきたので、なぜこの世の中に差別があるのかと、ずっと思ってきました。


器がなければ、本当に人をただ差別します。
器があれば、よく韓国ドラマでもあるように、敵であっても良いと思えば、「この者は生かしてあげなければならない」といって生かすのです。

もし神様に器がなかったとすれば、サタンは神様の前に帰ることができませんでした。

神様がサタン(ルーシェル)に、「苦労したね」と言って、サタンを解放していきました。
サタンは、人類全体を淫乱の渦の中へ巻き込んで行ったとんでもない者です。
そのサタンに対して「苦労したね」と言った神様です。

宗教同士が戦っている今です。
「宗教」という名を借りて戦うということは、神様を全く分かっていないからです。
私たちの中に、信じられないことがあったとしても、信じていこうとする心が大切です。

信じていけば傷つくこともあります。でも、ご父母様の前に行ったら、一瞬で解放されていきます。

李舜臣将軍の誠を貫く姿が真のご父母様の姿と通ずる姿です。真の愛の実体は、真の御父母様です。
み言の実体は真の御父母様です。
今、信じがたいものも沢山あります。人間関係においてもどうしてこうなんだということが起きます。

真のご父母様は、悪いことは良いことだと言われます。
何か意味ある目的があって、そのような事が起こっているからです。

悪い種を良い種にするのは自分次第です。私達が真の種である真の御父母様を見つめ、良い種にすれば、良い花が咲き、よい実が実るのです。
良い種になって、良い花を咲かせ、未来の為に良い実をつける為に、真の御父母様の生活に倣って行きましょう。