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札幌家庭教会 日曜礼拝説教集〔アーカイブ〕

2011/07/17 日曜礼拝説教要旨(齊藤教会長)

*今回は、聖歌隊掲載を省略します。

※ 以下、一般向けに要旨を伝えるため、表現の一部を訂正しています。

★ 「天一国の心情の基地、世界の聖地を探して」

来る 7/21に宋会長をお迎えして、札幌の新しい聖地が決定される運びとなりました。

先日、韓国の教会員向け情報誌「統一世界」に、1965(昭和40)年 2月に札幌聖地が決定された時の記事が載りましたので、本日はその記事を紹介します。

----- (記事ここから)
日本の、世界の聖地 第7号 札幌円山公園の話
イム・ヒョンジン/清心神学大学院大学校教授

【北海道の中心、開拓都市札幌に向けて】

1965(昭和40)年 2月 7日、東京。
真のお父様は「第46回真の父母様の誕生日敬拝式」と「記念礼拝」「記念行事」を主宰された。
東京以西巡回の忙しい5泊6日間の日程を終え、日本の食口達と一緒に心情的に一つになる大和動の時間を持つ。

真のお父様(まことのおとうさま):文鮮明師。
食口(しっく):ここでは、信徒を指す。
        韓国語で、「家族のように喜怒哀楽を共にする仲間」という意味。
日本の食口達は心を込めて、特技と演劇公演で聖地決定と世界宣教の基盤構築のために強行軍をなさる真のお父様を慰めて差し上げた。真のお父様のみ言で仕上げされた記念行事は、翌日午前3時まで続いた。

2月 8日 月曜日、真のお父様は、崔元福先生、崔奉春先生、申美植先生、久保木修協会長、小宮山喜一食口、小笠原節子(現 桜井節子)食口と一緒に東京以北巡回と聖地決定路程を出発なさる。
既存の指導者以外に真のご父母様と随行した小宮山喜一食口は、男子代表としてくじ引きで選ばれており、小笠原節子食口は、真のお父様が直接選び、全日本食口の代表として立てた人物だった。

小宮山喜一食口は北海道と特別な縁がある食口だった。
北海道は、1962(昭和37)年 8月 6日、沢浦秀夫食口が、北海道40日開拓伝道を最初に開始して以来、1962(昭和37)年12月16日、北海道北見教会が、一番最初に登録された。
小宮山喜一食口は当時、北見教会長に任命された使命者だった。
くじ引きという方法だったが、天は北海道と深い縁がある小宮山喜一食口を代表として選抜したのだ。

真のお父様一行は午後1時ごろ、東京羽田空港で飛行機を利用して札幌に出発し、午後2時10分ごろ、北海道千歳空港に到着した。
空港には、札幌、釧路、帯広の食口、15~16人が集まって、真のお父様一行を歓迎した。

札幌市街地遠景 北海道の食口たちはタクシー2台を利用して、真のお父様一行を札幌にお迎えした。

当時タクシー料金は、一台当たり2600円近くになったという。小笠原節子(後の 桜井節子)食口は、
「当時、100円は非常に価値があったが、少なくないタクシー料金に心配もした」と証言している。

研究チームが、2010年 7月28日、札幌を訪問したときは、非常に蒸し暑い天気だった。
札幌は夏、摂氏30℃の暑さ(8月平均 21.7℃)と、冬の零下10℃の寒さ(1月の平均 -4.1℃)が共存している冷温潤気候の地域である。
年平均 8.2℃で涼しくしながらも、降水量が1141mmで湿する。

真のお父様は北海道に来られた時、気候が故郷である平安北道の定州と同じような感じを受けたと考えられる。1971(昭和46)年のみ言で、真のお父様は次のように言われた。
『わが平安道定州の地方は、全国で農業が最もよく発達したところです。
 日本人たちがそこに実験場をつくりました。
 定州地域が北海道、東京、奥羽地方など中間地方の気候に匹敵する地域であるため、
 そこに日本の人々が当時の農業の実験場としては最も模範的なものとして、建てたのです。』
(1971/08/17、46-295)

冬の札幌の住宅街 実際に、平安北道定州は、平均年9℃でぞっとする。1月の平均気温は氷点下8.6℃、8月の平均気温は23℃、年間降水量は1161mmで、札幌と非常によくにた気候を示す。

札幌は本来アイヌ語で「さっぽろ」(サッ、ポロ、Sat poro、乾燥して、広々とした土地)
「さり、ぽろ、ぺっ」(サリ、ポロ、ペッ、Sariporo pet、大規模な湿地がある所)などに由来したという。

本来誰も住んでいない荒地のような場所に1869(明治 2)年に開拓使を設置して、米国式に計画的に育成した都市が札幌だ。
2010年 9月30日現在、189万人の人口で、日本で4番目に人口の多い都市である。

編注:
 札幌の平均気温は情報が古いものが引用されているようで、気象庁によると8月の平均気温は、22.0℃。

 更にここで示されている人口は、外国人等を除いた住民基本台帳登録人口で、公表される国勢調査ベース
 による推計人口とは異なる。
 国勢調査ベースによる同時期の札幌市の推計人口は、191.4万人。

 北海道の地域は韓国人にとっては苦痛の迫害の歴史が存在する。
 第二次世界大戦を行うのに、軍需物資や原材料の採掘に膨大な労働力を必要とした日本は、100万人余りの韓国人労働者を強制徴用していった。
このうち30万人余りは、北海道地域に徴用されて、5万人は当時死亡したと推定される。

 北海道での韓国の労働者たちは、炭鉱、水銀鉱、金鉱、鉄鋼山、発電所、飛行場の建設、鉄道建設など各種の開拓事業と戦争遂行のための軍事施設の建設に酷使された。強制収容所と同様の環境で寒さと飢えに対抗して、苦痛を受けた韓国人の犠牲の飢えに、北海道は発展を繰り返しすることができたのだ。真のお父様は、
「北海道に連行された人々がそこの女性たちと結婚して婿養子になって、日本の人になってしまった場合も
 たくさんありますよ」(1989/07/03、192-118)
と述べ、札幌一帯をはじめとする北海道全域に韓国人の後孫たちが定着しているということを仰っておられる。
初めての訪問でも真のお父様は、北海道は韓国人の情誠で開拓された地域であり、韓国人の血統が残っている地域として理解しておられたのだ。

【世界聖地7号 札幌円山公園の選択決定】

真のお父様はタクシーを利用して札幌教会に到着した後、「暗くなる前に、聖地を選択決定しよう」と言われた。
北海道と本州を結ぶ交通手段がとれないため、翌日の仙台までは一日中、電車や船便で走っていかなければならないため、巡回の目標である聖地選択決定を急いでいたのだ。当時の足跡について、成約新聞に次のように記録されている。
 午後4時頃、円山公園に行かれた真のお父様は腰まで積もっている雪の山をかき分けて歩いた。
 純白の雪の中で聖地を選択決定された。 (成約新聞特集号、1965年 3月15日)

聖地の択定場所は、北海道神宮近くの円山公園の敷地の秀麗なコブシの木だった。
コブシは韓国名では木蓮(もくれん)で、春に白い花を咲かす。
花言葉は白木蓮の場合、「果たせなかった愛」で知られているが、創造本然の愛を取り戻して出さなければならない、被造世界の恨と願をよく現してくれる神聖な木なのだ。

北海道神宮の桜並木 北海道神宮は明治天皇が北海道開拓の成功を祈り、ロシアから北海道を守るために1869(明治 2)年に建立された神社だ。

明治天皇を仕えており、同時に、札幌の開拓の守護神である開拓の三神(大国魂神、大国主命、小彦名神)を祀っている。

事実上、東京の明治神宮とともに天皇家の精神を守り、継承している神社である。

真のお父様は、1965(昭和40)年 2月 8日、訪問の時、神様の摂理に反対してきた日本の歴史を蕩減復帰して、神様の直接主管圏を探し立てるために、北海道神宮近くの木を世界聖地7号に指定されたものと思われる。

午後4時ごろ、北海道神宮近くの円山公園で、真のお父様は腰まで積もった白い雪原を直接かき分けて入った。写真によると、足跡ひとつない雪原を真のお父様は直接入って行って聖地に決定したのを見ることが出来る。

故郷の土地定州と似た気候の札幌で、もうすぐ冬をすごし、花を咲かせるコブシの木を眺めながら、花ことばのように、「果たせなかった愛」を、真のお父様の直接主管の下、神の前に完成した愛として成し遂げることを、願われたのではないだろうか?

真のお父様は中心の座を選び、韓国から持ってきた石と土、聖塩を埋め込まれた。

凍りついた凍土をシャベルなどの道具で掘るのは難しかっただろう。


 食口たちの証言によれば、真のお父様はコブシの木にスコップで表示をしておいた話もあるが、中心に石や土、聖塩を埋める自らシャベルをもって土を掘る真のお父様の姿の記憶だと考えられる。

 決定は、はじめに、中央から7歩の間隔で北の位置には崔元福先生、東の位置に久保木修教会長、南の位置には崔奉春宣教師、西の位置には当時札幌地区長だった梅本地区長を立たせた。中央から12歩、歩いた南方延長点には、残りの食口を立たせた。日本の最北端、世界の聖地で、真のお父様は、これらを中心に札幌や北海道全体を条件的、象徴的に神様が主管する聖地として取り戻すという報告を捧げたのだ。続いて中央-北-東-南-西の方向を聖別した。また北-中央-東 方位を経て 東-南方延長点-西 方位を聖別した。中央に戻ってこられ、南側を眺めて最終報告をさしあげることによって、円山公園のコブシの木の場所は世界の聖地6号で選択決定された。

【札幌食口達との晩餐を御言】

 真のお父様は聖地選択決定を終えて、札幌教会に戻ってこられた。到着後、教会での夕食の時間を持ってくださったが、当時のメニューとして提供された食は、カニだった。

 海の幸がサクサクすることに有名だった噂に北海道札幌のうえ、食口の家族にプロの料理人がいて食膳から料理味まで絶品だったという。

 桜井節子夫人は「立派な夕食の雰囲気が盛り上がり、真のお父様は、『先生はこのような豪華な食事を食べるために来たわけではない』とおっしゃった」と証言している。


犠牲と精誠で実現しなければならない蕩減復帰摂理の時代にメシアとしてこられた真のお父様は、食口たちと共に苦労を乗り越えようとしたのだ。続いて真のお父様は北海道札幌の近くの教会に集まった家族たちにお話を下さられた。まず、真のお父様は食口たちに遅れて訪れるようになったことに対する申し訳ない思いと無念さを打ち明けながら喜んで言われた。

ここから、真のお父様のお話。
『北海道は日本の最北端の地です。先生も本部から北海道札幌を考えていました。
 いつの日かこの地を訪問する日が来ると、待ちに待ったその日が今日の皆さんと会うこの日です。
 心より感謝致します。

 長い間皆さんが本部の先生を思い、会いたいという切実な気持ちでお祈りしてきたことも知っています。
 天の事情や環境のため、長い間、その期間を延長させて今になって、初めてここに現れ、皆さんと会う
 ことになったことを本人自らも残念に思っています。

 背後の天の父が先生を残して解決しなければならない重大な問題があったので、しかたなくこのように
 延長を重ねて会うことになったことについて、重ねてすみません。』

(文鮮明先生の日本語による御言集 第2巻、178-179 1965年 2月 8日)

続いて真のお父様は北海道の食口達が神様が願う蕩減復帰の責任を完遂して、全体を神様の直接主管圏に取り戻して立てることを述べた。
信仰的召命を受けた者としての自分自身を直接主管して、神様の意思を実現して差し上げることができる犠牲の道を歩いて行くように要求した。成約新聞は、真のお父様のお話の核心を次のようにまとめている。
 夕食後、真のお父様は待ちに待ったみ言をくださった。
「私たちは日本を愛する使命感を持たなければならず、天を代表して立つ者には、自己中心的な平安は決し
 て許されない。自ら死ななければ、心情はわからない。苦労をして初めてわかる。
 神の心情の中で生きる者となれ!
 私は、全世界が反対しても、この道を行く。一人でも戦う決心である」
 と強く言われた。聞く者の心を強く励まされたみ言だった。

 午前2時が過ぎるまで、質疑応答とユーモアが入り交じった親密な雰囲気の中で、西川先生、久保木先生
 の挨拶があった。
 続いて兄弟姉妹を紹介して、一人一人、真のお父様と握手をしながら、一日を終えた。

(成約新聞特集号 1965年 3月15日)

真のお父様たちはその夜、札幌教会の2階で休憩された。
真のお父様、崔奉春先生、久保木修協会長、小宮山喜一食口が一部屋で、崔元福先生、申美植先生、小笠原節子食口が別の部屋でそれぞれ休憩を取った。

【札幌教会に下した揮毫(きごう)「福地建設 万民義務」、「宇宙主管を願ふ前に我を主管せよ」】

 2月 9日早朝、真のお父様は札幌食口たちに信仰の指針となる揮毫二編を下した。

 一つは、「福地建設 万民義務」であり、もう一つは、「宇宙主管願ふ前に我を主管せよ」だ。

 最初の揮毫(きごう)は、日本全国を巡り聖地決定の働きが、今はほとんど終わる時点で、真のお父様は神の国を象徴している福地の建設のために、すべての人たちが精誠と活動の責任を果たさなければならないことを勧められたのである。

 二つ目の揮毫(きごう)は、真のお父様が9年間のメシアの使命準備路程期間中、座右の銘としたもので、神様の心情を体験し創造本然の理想を果たしていただくために、食口全員が自我主管訓練を促すものと理解することができる。

 真のお父様は揮毫を下し、午前6時30分、札幌教会を出発された。
 続いて札幌駅から 7時15分発函館行き列車に乗って仙台に向けた巡回路程を出発された。

【世界の聖地 第7号の場所にあったコブシ木の胸痛い出来事】

 一方、研究チームは 2010(平成22)年 7月28日夕方、資料調査のため、札幌手稲西教会を訪問した。
 この時、私たちは世界の聖地、第7号に関連する胸が痛い事実を聞くことが出来た。40年間真のお父様の祝福を守り、創造本然の理想的な愛を実現することを念願してきたコブシの木が、2004(平成16)年 9月頃台風にあって、根こそぎ倒れたことだ。

 札幌手稲西教会の食口たちは木を生かそうとしたが、しかし、すべての努力が無駄になった。
 結局、コブシの木は切られ、札幌手稲西教会の庭の片隅に保管されていた。

編注:
 2004(平成16)年 9月 7日から翌日にかけて、台風18号が勢力を保ったまま北海道西部の日本海を北上し、
 120 年余りの北海道各地の気象観測記録を相次いで更新する強風で、路面電車の架線切断、街路樹や
 自動販売機の横転、屋根の破壊、高波による道路崩壊などの大きな被害が北海道各地で発生した。

 そのときに、このコブシの木が倒れた。

5~6年後の時点での訪問だったが、木だけでも真のお父様に報告して、残留物を保存しなければならないのではないかと思った。

祈りの精誠を捧げてきた松の木 食口たちは、2005年10月13日、聖地場所に新しい木を植え、祈りの精誠を差し上げた。

しかし、それさえも北海道神宮から制止を受け、また木を抜いて別の場所に移植したという。

【文亨進世界会長様が祝福してくださった小樽、オタモイ海岸】

研究チームは、世界聖地第7号 札幌円山公園の現地調査後に特別な聖地を追加的に調査した。

札幌近隣の小樽の地域に位置するオタモイ海岸だ。(札幌手稲西教会付近から)車で40分ほどの距離に位置したオタモイ海岸には、真のお父様が、1935(昭和10)年 4月17日の復活節に猫頭山で祈る形状が岩で化している。

文亨進世界会長は、2007年 6月18日、真のお父様の形状の岩の反対側の海岸に突出している岩を真のお母様の岩に定めて、特別な聖地を決定した。

清涼な海岸沿いに奇岩絶壁で構成される道に沿って入って行った場所で出会った真のお父様、真のお母様の岩は、自然万物を通しても、真のご父母様を刺激的に、実態的に記憶して侍る文亨進世界会長の親孝行と信仰を切々と感じさせてくれる。

統一教会の食口たちの足が、真の父母様の教えと足に沿ってつながることを楽しみにしている。
----- (記事ここまで)

祈りの精誠を捧げてきた松の木(右側) 台風により倒れたコブシの木の代わりの木を植え、
新たな聖地決定までの間、祈りの精誠を捧げてきたその松の木。

現在は、ここ札幌教会の正面玄関横に鎮座しております。